[2015/07/24]

【第5回】家庭での女中さんの立場

 さて、"逃げ"ることに成功した女中さん達がどのような生活を手に入れようとしていたのか、それを考えると思わずムッとしてしまいそうなので、それは次回にお話するとして、今回はイスラム的に、女中とは家庭内でどんな立場で、またどんな扱いを受けるべきかを見ていきたいと思います。
 イスラム教の学者さんがテレビでこのようにおっしゃっていた。
「女中を雇う事自体はいけなくはないが、もし雇うのであれば彼女達の衣服と食を自分達のそれと同じレベルにするように」
 たとえば、食に関しては、そんなのあたりまえでしょ? なにしろ一緒に暮らしているわけだし、いや、それ以上にわざわざ女中用に別の物を作るなんて面倒くさいではないか。だから私はどこの家でも、女中さんは家族と同じ物を食べているもんだと思いこんでいた。
 しかし、私はある日見てしまったのだ。びっくり仰天。私のこの小さな目が、顔の半分位を占拠してしまうほど大きく開かれたあの日。

●学者の意見と現実のギャップ
 私はとあるサウジアラビア人のご家庭でランチをごちそうになっていた。出されたお料理はグラタンのようなもの。
「ウン、なかなか美味しいじゃないのよ」と思いながら食べていると、近くでその家のお子様ーーとも言えないような悪ガキではあったが、まあその子が取り分けられたグラタン(のようなもの)にケチャップをビーとかけてグチャグチャに掻き回し始めた。
「いやあ、これはまた随分とまずそうにして食べるなあ」とある意味感心しつつ、私は静かに食べていた。
 すると大して食べもしないで、その子はプイッと立って行ってしまったではないか。グラタン(のようなもの)をぐちゃぐちゃにして、結局食べない。やっぱり悪ガキだ、と思っているとその子のお母さんは、私が考えもしなかった恐ろしい行動に出た。
「ちょっと来なさい」と、呼んだのは自分の息子ではなく、なんと女中さん。
「これ食べなさい」と差し出したのは、あのケチャップでぐちゃぐちゃになったアホ息子の食べ残し。それを女中さんは「ありがとう」と受け取るではないか。
 ガーン、こんな事って"あり"なのだろうか!可哀そうな女中さん、私だったらあんなもの絶対に食べたくないざます。
 呼びつけて、これ食べろとムリにでも食べさせる相手が違うでしょう、と誰でも思うだろうが、ここは異国の地。そういうわけにはいかない、のかなあ?
 こういう家庭もあるのだから、学者さんがテレビに出てまで教えないといけないのねえ、きっと。

●家族と同じレベルの服装を
 続いて衣服について、これは学者さんには申し訳ないが"家族の者と同じレベル"、とはなかなかいかない場合もある。
 何しろ女中さんは、いくら同じ家で暮らしているからと言っても家族ではない。故にその家のご主人やある程度歳のいった息子さん達(12〜13歳以上)の前では、髪の毛を隠し、身体の線が出ないような格好をしなければならない。
 家の中でまでそんな格好をして大変そう、と思われるかもしれないが、仕方ない。これはイスラム教の決まり、私達には変えられない事なのだ。
 一般的に女中さん達の着ている洋服は長袖のワンピース。ワンピースと言っても、日本で言うネグリジェのような感じ。それをうちのダンナさんは"女中のユニフォーム"と呼んでいるが、我が家ではその"ユニフォーム"を女中さんに着せた事がない。我が家の女中さんはいつもパンツに長袖のシャツ。もちろんシャツは長めでお尻が隠れるようなもの。
 これは私が家のなかでいつも着ている洋服とほぼ同じスタイル。「もっとお洒落したらいいのに」と義妹に言われた事もあるが、なんだか常に女中と同じような格好になってしまう。
 でもそんな私のお陰で、我が家は学者さんの言う"同じレベル"の衣服を着せているわけだから、なかなか優秀な家庭ではないか。すばらしい。
 サウジアラビアに来る女中さんの大半はイスラム教徒だが、たまーにそうでないこともある。例えばエチオピアやスリランカ、そしてフィリピンなどから来る女中の中にはイスラム教徒でない人もいる。しかしだからといって、家の中での彼女達の格好が変わるか、と言ったらそんな事はない。イスラム教徒であろうとなかろうと、ご主人や大きい男の子の前では"ユニフォーム"を着るのがサウジ流。

●ムスリム女中の利点
 ほとんどのサウジ人はイスラム教徒である為、やはり女中もイスラム教徒の人を好む傾向にあるのは否めない。女中さんがイスラム教徒であればメッカやメディーナなどイスラム教徒だけが入れる都市に行く際も、一緒にいく事が出来る。旅行中であろうとも、子供達の面倒やら、その他の雑事など女中さんにやってもらいたい事はたくさんあるものだ。
 しかしイスラム教徒でない女中を上記の二大聖地に連れていく事は出来ないし、かといって一人で留守番をさせる事も、もちろん出来ない。だから「やっぱりイスラム教徒が良いわあ」となる。
 他にも、非イスラム教徒にお金を払うよりもイスラム教徒にお金を払って、その人達が経済的に少しでもよくなった方が良い、そう思う人もたくさんいる。私もこの考えには大賛成。私達イスラム教徒は同胞であるから、お互いに助け合わないと。
 貧しい国から来る女中さん達は、自国では仕事がない、またはあってもものすごく安い給料だそうだ。しかしそんな彼女達もサウジアラビアで10年も働いたら、自国でかなり大きな家が建てられるようになる。
 我が家に来たスリランカ出身の女中さんも13歳からサウジアラビアで働き始め、20代前半にはもう、スリランカに庭付き一戸建ての持ち主になった。彼女の家の庭には、ありとあらゆる種類の果物の木が植えてあるらしい。鶏もいるし、半自給自足の生活が出来るというから、おったまげる。日本人なんて何十年働こうとも、なかなか庭付き一戸建ての家なんて手に入れられないぞ!
 他にもこちらで習った料理をメインにしたレストランをオープンさせる人もいるらしいし、羨ましいじゃないか、あんた達!

●非ムスリム女中の利点
 例の学者さんもやはり女中はイスラム教徒の方がいい、とおっしゃっていた。なぜなら大抵の家庭で女中に子供を任せてしまう昨今、もし女中がイスラム教徒でなかったら、子供達に反イスラム的な事を教えてしまうかもしれない。それはアカーンというわけだ。
 しかし、非イスラム教徒の女中を雇う利点、というのもある。その理由の一つ、いや唯一の理由とは、イスラム教徒でなかった女中さんが、サウジアラビアの家庭で働いている間にイスラムの教えに触れ、ムスリムに改宗する事。
 これはかなりスゴいこと、なのである。
 なぜなら、例えばAさんが、Bさんを通してイスラム教を知り、イスラム教徒になったとする。そうするとアッラーは、Aさんが礼拝や断食をして稼いだアジュル(善行)をBさんのものとして記帳されるようにしてくれるのだ。もちろんAさんのアジュルが全く無くなってしまうわけではない、それではちょっと可哀そうすぎる。Aさんはもちろん、自分のやった全ての善行、たとえそれがどんなに小さな事でも、ちゃんと記帳され、最後の審判の日にそれを見る事になる。
 アッラーは慈悲深く、そして公正な方である。
 うちのダンナさんの弟の家の女中は、イスラム教徒ではない。弟一家は自分たちを通して、女中がイスラム教徒になってくれる事を願って、あえてキリスト教徒の女中を頼んだそうだ。
 今のところ彼女が改宗したというニュースは入って来ていないが、インシャアッラー=いつの日か、彼女がイスラム教徒になってくれますように。その女中さんがイスラム教徒になる事は、彼女自身にとってもちろん良い事であるが、弟一家にとってもめちゃくちゃ良い事なのだから。
 特別な事をしていなくても、彼女が礼拝をする度にどんどんアジュルが増えていくんだから、すっばらしい。
 しかしその為にはかなり、レベルの高い家庭でなくてはならない。我が家のように逃げ出したくなるような家庭では、絶対に改宗者はでないだろう。
 ただうちの女中さんは、最初から逃げる事を予定にいれて来ていたのだから、あまり我が家も責められないと思うのだが...。

 さて次からは、どうしてうちの女中は最初から逃げようとしていたのか、また逃げるとどんなに良い生活が待っているのか、それを(怒りを押さえながら)じっくりと見ていきたいと思います。