前回の「特別編(上)」に続いて、シャルリー・エブド事件をサウジアラビアから考えた。
●改宗を迫らないイスラム
イスラム教徒は、世界人口の約20%を占めている。世界中の人間の5人に1人がイスラム教徒なのである。そしてこの比率は年々上がっている。特に欧州ではかなり顕著にイスラム教徒の数が増えていっているようだ。
これはただ単に、イスラム社会からの移民が増えている、というのではなく、欧州の人々の中からもイスラム教に改宗する人が増えている為である。ヨーロッパ内部からイスラム化が確実に始まっているのだ。
イスラム教というのは、「平和」という意味を持つ宗教である。
イスラムの教えを守る事により、個人の心に平和を得て、現世の生活が平和で満たされ、来世においてはもちろん平和の中で暮らすことが保障されている。
平和以外、得ることが何もないような宗教なのである。
歴史を見てもキリスト教徒やユダヤ教徒たちは、イスラム教徒の地において、長い間平和に暮らしてきた。クルアーンにもこう書かれている。
『宗教には強制があってはならない。まさに正しい道は迷悟から明らかに(分別)されている』(クルアーン2-256)
異なる宗教の彼らも改宗を迫られることなく、普通の暮らしを営むことができた。これはイスラム教が平和を尊ぶ宗教である、という証明の一つ。
●復讐を望まなかった預言者
しかしそれに対しキリスト教の地でイスラム教徒は平和に暮らせているだろうか。ユダヤ人に至っては、アラブ人が平和に暮らしていたパレスチナの大地を取り上げて、追い出す始末。
平和を一番大事にするべきイスラム教徒から、平和を取り上げておいて、しかも何かがあれば武力に訴えるような野蛮な宗教であるというイメージを作り上げてきた。そう、そうやって彼らは人々からイスラム教を離そうと躍起になっているのである。
イスラム教徒は今や、迫害そして中傷、嘲笑の的になってしまった。
それに対し、私たちムスリムはどのように対応していけばばいいのだろうか。
クルアーンの中で、アッラーはこのようにおっしゃっている。
『他人に悪を行い、また度を越した復讐を企て地上を騒がすものたち、彼らに対する(アッラーの)罰は痛ましい懲罰があるだけである。だが、耐え忍んで赦してやること、それこそ(アッラーの決められた)確固たる人の道というもの』
(クルアーン:42-42)
『耐え忍んで赦す』とクルアーンにはあるが、それではクルアーンの教えを身をもって教えてくれた預言者さんは、ご自分が嘲笑されたときどんな行動を取られたのだろうか。
有名なお話を一つだけ紹介。
預言者さんがメッカにいらした頃、彼はひどい迫害にあっていた。メッカにいた多神教徒たちには「アッラー以外に神はなし」というメッセージが受け入れられなかったのだ。
ある年、預言者さんはひとりでメッカの近くにあるターイフという町へ宣教のため出かけられた。
「アッラー以外に神はなし」というメッセージがこの町では受け入れられるのではないかという希望を持って向かったのであるが、その町の住民は預言者さんを嘲笑い、石を投げるなどをして追い返してしまった。
血を流しながらメッカへ帰る道中、天使が舞い降りてきて預言者さんにこう言った。
「アッラーはあなたに何があったかをよくご存知である。もしあなたが願うのであれば、彼らの上で二つの山を叩き合わせ、彼らを全員その下に埋めてしもうこともできる。私はその許可をアッラーからいただいた」
これに対し、私たちの預言者ムハンマドさんは「いいえ、そんなことはしないでください。彼らの子孫たちが、もしかしたら『神はアッラーのみ』と信じるようになるかもしれませんから」と答えられたそうだ。
そう、預言者さんは赦すことをお選びになった。自分の決断次第で、簡単に報復することができたにも関わらず、彼はそれを良しとはしなかったのである。
●西側諸国によって分断された中東
今回の風刺画に対し、殺人で報復したのは本当に残念である。殺人は大きな罪だ。犯罪だ。
『人を殺した者、地上で悪を働いたという理由もなく人を殺す者は、全人類を殺したと同じである。人の生命を救うものは、全人類の生命を救ったのと同じである』(クルアーン5:32)
このようにアッラーはお定めになった。
では一体どんな策が有効だったのか、それは正直私にはわからない。ただデンマークで風刺画が掲載された時のように、サウジ政府もなぜ不買などのボイコット策を取らなかったのだろうか、との疑問が残る。
またはアラブ産油諸国が足並み揃え、フランスへの石油輸出を禁止するなど、何かしらの方法があったのではないだろうか、という思いはある。なぜイスラム諸国は抗議ばかりをして、具体的な行動を取らなかったのだろうかと。
行動を起こして、相手に自覚を促す強い意志がなくては、なにも変わらないだろうに。
今回の事件でもよくわかるように、西側諸国ははっきり言って、イスラム諸国を軽く見ている。それは今に始まった事ではない。随分と前からの話だ。
何しろ100年前にやってきて、地図上に国境線を引いて、中東世界を自分たちで勝手に分けてしまったのだから。「はい、ここは私の分、そしてここら辺はあなたの分にしましょうよ」といった具合に。
この点に関し、私たちの預言者さんはこのようなことを、1400年以上も前におっしゃっていた。
「諸外国がイスラム諸国を攻撃しようと、公けに誘い合うようになる時がやってくる。それは本当に時間の問題だ」
それを聞いた人達は「どうしてそんなことが可能なのでしょうか。それは、私たちイスラム教徒の数が少ないからでしょうか?」
預言者さんは答える。「そうではない。あなた達は(その時)とても多い。しかしあなた達はまるで海を漂う不要物のようになってしまうのだ。そのためアッラーは敵対する人々の心から、あなた方に対する"恐れ"を取り除いてしまわれる。そしてあなた方には心に病気と弱さをお与えになるだろう」
「その病気というのは、一体何ですか。」
預言者さんはこのようにお答えになった。「(来世よりも)現世を好むことだ」
そう現世を愛しすぎるというのは、立派な病気で、この病気にかかると、心が弱くなるらしい。
●「現世を好む」という「病い」
大抵の人は、今ここにある現世の事しか考えていない。
"この世"でいい家に住みたい。"この世"でいいものが食べたい。"この世"でたくさんのことを楽しみたい。といった具合に。
しかし、アッラーから直接教えを受けている私たちイスラム教徒が、このような態度でもって人生を送っていてはダメなのである。
この世はテスト期間であることを心に留め、来世で天国に入ることが、この世の第一目標にようになっていないといけない。そのような態度でいる者に対し、アッラーは来世とそして現世での成功を約束された。
イスラム教徒が、自分の"今"の生活ばかりを大事にする人ばかりになって、結局イスラムという一つの共同体が弱くなってしまった。おかげで、こんな下らない風刺画などが掲載されるような事が起きるのだ。彼ら西側諸国に、私たちへの敬意が少しでもあったなら、こんな絵を描こうだなんて、最初からきっと思わなかったはずである。
今回のテロ事件は、見方を変えれば私たちイスラム教徒のせいでもある。現世の生活に惑わされ、多忙な生活を送る私たち。人数は増えても、全体の価値が下がるばかりの私たち。預言者さんが生きていらした頃とは比べようもないほどの変わり様。
さあ、これが現実だ。私達が直面している現実、これを変えるにはまず私達一人一人のイスラム教徒が変わっていかねばならない。相手を非難していても、そして自分たちを批判してばかりいても何も変わらない。
今、イスラムという一つの共同体はアッラーのお助けを得るため、なんとしても正しい道、アッラーの定められた道に戻らねばならない。アッラーは正しい行いをする者を愛し、そういった人々をお助けになる。
さて次回は、預言者さんが私たちにとってどういう存在で、その方の絵を描くことがどうしていけないことなのかといった点について考えていきたいと思います。