[2015/06/19]

雲上の楽園へ 【インド・ニルギリ山岳鉄道】

 ふと「今日も列車に乗ることができないのでは...」と思い始めていた。
 列車の切符を買う前に、はやる気持ちを抑えることができず、ホームで列車を待つ人々の列に加わってしまっていたのだ。インドでは「車内で切符を買うことができない」と思うのだ。
 これから乗ろうとしている「ニルギリ山岳鉄道」は、南インド・タミルナドゥ州に位置する登山鉄道。タミルナドゥ州西部の中心都市であるコインバートル北方約33キロのメットゥパーラヤムが起点駅。
 この駅の標高は326メートルで、目指すは標高約2203メートルのニルギリ山地の保養地ウダガマンダラム(ウーティー)。「青い山」を意味するというニルギリ山地の一部は高原状になっていて、イギリス統治時代の19世紀半ばに避暑地として拓かれた。
 今も南インド有数の保養地で、インドの人々が観光や新婚旅行で訪れる人気の場所となっている。またニルギリ紅茶の産地としても知られる。何はともあれ、灼熱のインドで高原の涼しい風が吹く場所は、想像しただけでも楽園のようである。

 そんな「雲上の楽園」を目指して、メットゥパーラヤムからウダガマンダラム(ウーティー)まで建設された約46キロメートルの鉄道が「ニルギリ山岳鉄道」。途中のクーヌールまでは急峻な地形を行くため、レールとレールの間にギザギザのラックレールを敷いて機関車の歯車を噛み合わせる「アプト式」と呼ばれる特殊な方式が用いられている。2005年には、北インドの「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」などとともにユネスコの世界遺産「インドの山岳鉄道群」に登録された。
 世界遺産は別として「アプト式」や「蒸気機関車」と聞けば、鉄道好きとしては是非とも乗ってみたいのだ。かつて日本の信越本線横川から軽井沢の碓氷峠越えにもアプト式が用いられた時代があった。
ただし、碓氷峠で「アプト式」の「蒸気機関車」が最後に使われたのが大正10年頃というから、ちょっとした「タイムスリップ感」を味わえるかも知れない絶好のチャンスだ。
 しかし、厄介なことに、メットゥパーラヤムから山へ向かう定期列車は朝7時10分に出発する一本のみ。実は前日も乗車を試みたが、この駅へ着いた時には、その日の列車がすでに出発した後だった。お陰で特段に取り柄のない田舎町で一日足止めをされてしまう結果となった。

 2度目のトライとなった、メットゥパーラヤムの登山列車のホームには、すでに長蛇の列ができており、一度列を離れると座れないどころか、切符不所持で乗車を断られる恐れもある。昨日一日を棒に振ったので、もう時間を無駄にしたくない。しばし考えた後、「もうこれしかない」という方法を思いついた。...といっても特別な"技"というものではない。「他人に場所(荷物)を見てもらい、その間に切符を買いに行く」という単純な方法だ。
 しかし僕の周りに居るのは見ず知らずのインド人ばかり、友人ならば気軽にお願いできるが、一歩間違えば置き引きにあう危険性もある。
 けれど、不安ばかり気にしていても進めない。ちょうど周りに、元気そうな若者グループが居たので、彼らに荷物をみてもらい、その間に切符を購入する事にした。
 不思議なことに、インドでは首を横に振るのがイエスを意味する。若者たちは首を横に振りながら「オーケー!」と、快く引き受けてくれた。
 主に着替えなどの入ったバックパックを彼らにお願いして、僕はカメラバックだけ担いで駅事務室へと走った。
 小さな駅舎の窓口で「ウダガマンダラムへ行きたいのですが?」と尋ねると、小太りの駅員が鋭い眼光を向けてきた。インドの駅員の威張りようは、これまでも体験済みだったので心の準備はできていた。もう一度同じ言い方で食い下がると、今度は「私が特別に切符を発券しよう」と、如何にも勿体ぶった物言いで言われた。蔑まれたようで気分は良くないが、これがインド国鉄職員の「定型」と思えば微笑ましくもある。数分後に手書きの切符が"ポン"と目の前に差し出された。

 切符を受け取り、急いでホームに戻ると、列車がすでに入線していた。先ほどまでホームで待っていた乗客はとっくに車内に入ってしまい、ガランとしたホーム上から私のバックパックが消えていた...。
 不安な気持ちもつかの間、窓からさっきの若者たちが笑顔で手を振っている。車内に入ると窓際の座席に私の荷物が置かれていた。彼らは荷物を車内に運び入れてくれたうえに席まで確保してくれたのだ。何とも有難い。お礼を言うと、相変わらず首を横に振って「当然のことをしただけさ」というように、白い歯を見せて笑った。

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